4月12日の日曜日、バイエラーファウンデーションで開催中のポール・ゴーギャン展に行ってきました。 描かれた当時は、おそらくもっとビビッドな色彩だったのでしょうが、年月と共に絵の具の色が剥落しており、でも、私はそういう油絵がとても好きです。特に、ゴーギャンは、画集で見る色彩と実際の絵画に大変落差があるので、本物を見たことがないときには、大嫌いな画家でした。これほど、本物を実際に見て心惹かれた画家は、他にいません。 ゴーギャンは、1883年、35歳のときにそれまでの日曜画家から専業の画家になることを決意します。彼は、アンリ・ルソーと並んでアカデミックな教育を受けていない日曜画家出身の代表選手のようにいわれており(少なくとも日本では)、そして、「月と6ペンス」にも、それまでの平凡なサラリーマン生活を捨てて絵を描くためにタヒチに渡ったと書かれていますが、この展覧会での年表を読んでいくと、それが間違いだということがわかります。 ジャーナリストだった父の亡命に伴ってペルーに渡ったゴーギャンは、その地で父を亡くし、頼りの資産家の叔父も亡くし、7歳で叔母を頼ってパリに戻ります。フランスで学校を出ると17歳で船乗りになり、再び南米を訪れます。海軍に在籍し普仏戦争に参加した後、株式仲買人になって成功を収めた後、日曜画家から専業画家へ転身しますが、それは、決して、ある日、突然にサラリーマンが専業画家に転身したわけではなかった事実がこの年表には書かれていました。実は、幼少の頃より芸術に関心が深く、志はいつもそこにありましたが、経済的な要因からなかなかそこに行き着かなかったのでした。黄色い世界地図は、ゴーギャンの足跡を映し出します。 年表を追っていくと、さらに彼の軌跡が良くわかる仕組みになっています。かなりイケてる展示手法でした。去年のセガンテイー二展も、後日、東京にやってきましたから、このゴーギャン展もそのうちに東京でも開催されるのではないかと思います。 特別展が終わると、常設展へと導かれます。アフリカの造形に囲まれているのは、アンリ・ルソー。つい最近まで、地下の修復室で修復が行われていた作品です。写真が小さくて見えないのが残念ですが、密林でライオンが血だらけの獲物を咥えている有名な絵です。バイエラーの所蔵品だったのですね。
ジャコメテッイもありますが、この美術館にはなんといってもモネの睡蓮が似合います。
#
by ueno-panda
| 2015-05-24 01:00
| スイス
|
Comments(0)